FAR EAST FABRICが誕生するまで
捨てられていた、着物
古物免許が無いと入れない、プロの競り市場に縁があって立ち寄ることがありました。
司会者が台の上に立ち、出品されている古物を競りにかけるようなところです。競りでは、一番高い値をつけた人が購入できます。
掛け軸、焼物のお皿、日本刀や兜など普段見かけることないものが次々と落札されていました。
ある物品を落札した方に話を聞くと、落札したものを「海外に送る」と言っていました。
古物市場で競りにかけられるものは“不用品”として行き場の無くなったモノがほとんどでした。
国内で不要とされたものが海外では“欲しい”と思われていることは意外でした。
そんな中、着物が競りに出てきました。
遠くからでも目を惹く艶やかなもので、赤に金色で豪華に装飾があしらわれていました。
段ボールに数十着入ってのまとめ売りと司会者から説明がありました。
「数十万するのかな」
と思いながら競りを見ていました。
しかし、競りが始まっても一向に入札が入りません。
徐々に価格も下がっていきました。
最終的に1着数百円になっても値がつかず、司会者が思わず声を荒げる始末でした。
私は思わず、連れて行ってくれた方に、
「入札してくれないか?」と耳打ちしました。
「え、お金にならんぞ?!ほんとに?」
「いいから、入札してください」
私は着物30着を数百円で手に入れました。
競りなのにだれとも競ることなくです。
男の私が、女性物の着物を30着。自家用車のトランクに載せてその日は帰りました。
どうするのかのアテもなく。
着物は「着物」として再利用できない
勢いで買ったものの、着物でも女性用の着物です。
どうしたものかとトランクを開けて悩みながら、
知人で着物が好きな人がいたのでその人に譲ろうと電話しました。
「着物が大量にあるんだけど、いりません?」
「本当ですか??ありがとうございます!!!!」
と返事が来るかと思っていましたが、
「あっ、人の着物って着ることできないんですよ」
「まだまだ綺麗で、匂いもないし、大丈夫と思うけど?」
「そういうことじゃなくて、着物は背丈、腕の長さとか体型がほぼ同じ人じゃないと着れないんですよ」
なんてことでしょう。
着物の厳しすぎる条件を初めて知り愕然としました。
まったく同じ体型の人などいようはずもありませんし、そもそもこの着物着てた人の体型などわかりません。
その後、詳しく着物の話を聞きました。
スーツのように腕の丈を少し出す、ウェストを絞るといった調整はできず、親子で着物を受け継ぐときも数十万円もかけてサイズ直しをするとのことでした。
そのとき古物市場で値が付かない理由もわかりました。
着物は、着物として再利用することができなかったのです。
着物アロハシャツというアイディア
しばらく倉庫で眠っていた着物たちに、突然希望の光がさしました。
着物を買ってしまった話を人に話していたとき
「たしか、アロハシャツって元は着物をリメイクしたものだよ?」
と教えてもらいました。
調べた結果、この話は本当でした(諸説あるようです)
1930年代、ハワイに移住した日本人が、ハワイの気候に合わせて持ち込んだ着物をリメイクして着たことが起源のようです。
たしかにアロハシャツって柄が日本っぽいよなと納得しました。
倉庫で眠る着物をアロハシャツにリメイクしてみようと考え始めました。
普段でも着られるシャツにしたい
買ったものの、捨てるしかなかった着物達をうまく使うことができるかもしれない!!
と舞い上がりながら、アロハシャツを持っていそうな友人に
「アロハシャツをもってる?」
とメールをまわしてみるも、誰も持っていませんでした。
ハワイに新婚旅行に行った後輩は確実だろうと電話しましたが、
「買ってないんですよ。だって日本に帰ってきたら着られないじゃないですか」
アロハシャツって沖縄や南国リゾートでは着やすいけど
柄や色が派手だから、日常使いには難しく、襟も開襟だからラフすぎてどうもコーディネートがしにくい。
そこで普段でも着やすいシャツに仕立ててみたらどうだろうかと思い、少しづつ試作を作りはじめていきました。
ボタンダウン。
そして、少しゆったりとしたシルエット。
開襟ではなく普段から見慣れている襟元を考えてみました。
上質な着物をシャツにするからといって、フォーマルになりすぎると着こなしが限定されてしまう。
堅くなりすぎずカジュアル感もあるものとしてボタンダウンを採用しました。
主に、パンツにインをしないスタイルを前提にしているので、
少しお腹まわりにはゆとりをもたせ、丈は長すぎないように調整しました。
